〜あのひとがくれた「哀」〜



    「たるぼちゃんひさしぶり〜、元気だった?」

    「愛羅さん、お久しぶりですう。えっとー、いつ以来だったかなあ。確か私がビールをこぼした時

     以来だから…」

    「うふふ、合コン以来ね!」




    今日は萌須田社入社前のメンテナンスチェックの日。新入社員といっしょに暮らしているロボットは本社で

   感情パラメータと機能のチェックを受けることになっているの。

    わたしがいつも『キミ』と呼んでいるあの人…そう、カレがモニター終了日の面接を見事クリアしてから

   この1ヶ月の間、一緒にお仕事できる時間が楽しみで楽しみで仕方なかったわ。口にするビールの量も

   ついつい増えちゃって、アイリスちゃんに『落ち着きがないですよっ!』なんて言われちゃったりして。

    出来ればカレが初めてオフィスに来る前に、仕事場を下見しておきたいなあ。それこそ自宅にいるのと

   同じ感覚で働けるようにコーディネイトしておきたいし…リラックスできるようにお花もいい感じに

   ディスプレイしておきたい。あと冷蔵庫もひとつ置かせてもらって、一緒に飲めるようなビールを…

    「メンテナンス、愛羅さんの番ですよー」

    「あ、はーい。ごめんなさーい」

    メンテナンスといっても、日常の生活で支障がなければ、まずチェックに引っ掛かることはないみたい。

   その点わたしは問題ないわね!みんなと過ごす毎日は楽しいことばかりだったし、おかげでもともと

   高かった「楽」のパラメータが駆け足で上がっちゃったくらいだもの。

    「はい、愛羅さん、動作チェック問題なしでーす。」

    「ありがとうねっ!」

    係の子に促されて今度は感情パラメータチェックのスペースに向かう…どうやらすぐに終わりそうね。

   あれ?ひと足先にチェックを受けてたたるぼちゃんが、ちょっと難しい顔してるけど…

    「う〜ん…」

    「どうしたの、たるぼちゃん?」

    「いや、今日の朝なんですけどねえ。わたしのマスターが『今日のメンテナンスでテキトーすぎるところを

     少し見てもらえ』って言ってたから、いい機会かなあって思ったんですけど…」

    「それで、どうだったの?」

    「問題がなかったんですよ!もお〜」

   問題がなかったなら、よかったんじゃないかなあ…と思っていたら…

    「つまり、わたしがテキトーだってことは仕様だってことじゃないですかあ!」

    「あ、あらあ…」

   こ、ここは笑っていいところなのかしら??頬を膨らませたたるぼちゃんをしばらくじっと見ていたら…

    「…ぷ…くふふ」

    「もう、笑うなんてひどいですよお〜」

   わたしもたるぼちゃんも、結局こらえられずに笑っちゃった…




    さて、感情パラメータチェック!椅子に座ると、よくテレビで見かけるようなウソ発見器みたいな機械を

   くっつけられて、モニターに波の形が映し出される。そういえば私がカレのもとに行く前も似たような検査を

   受けてた記憶があるわ。あの時は今ほど起伏のある波の形じゃなかった…

    「喜…6ポイント、怒が4ポイント…」

   今のわたしのパラメータが次々と映し出されていく。改めて見てみると新鮮…これが自分の「感情」なんだ…

    「楽、16!愛が12!、憎は…ゼロ!」

   読み上げられる自分のパラメータを聞きながら、そうそう、とうなずいていく。確かあとは『哀』だったかな?

   たしかこれもゼロだったはず…

    「あれえ?愛羅さん、『哀』が2ポイントありますよ?」

   横からパラメータをのぞきこんでいたたるぼちゃんが不思議そうな声を上げた。あ、初めの値から変わって

   たんだ。でも、どうしてだろう?悲しいことなんて何もなかったはずだけど…




    「本当に、心あたりなかったんですか?」

    「う〜ん、思い当たらないわあ。あの2ポイント、どこから来たのかなあ…」

   パラメータチェックもすっかり終えて、たるぼちゃんと一緒に喫茶店でひと休み。初めて入ってみたけど、

   木目調の内装が落ち着いていて、なかなかの雰囲気…よし、今度はカレと一緒に仕事帰りにでも

   入ってみようっと。注文は…

    「えーっと、アールグレイの紅茶をお願いします」

    「じゃ、わたしも〜…って、愛羅さん、珍しいですね」

    「ふふ、ビールの方は検査の待機中に何杯かいただいちゃったから♪」

   紅茶を待ちながら、例のパラメータについてあれこれ考えを巡らせてみる…。でもやっぱりこの1年は楽しいこと

   ばかりだったし、やっぱり思い当たらない。しかし最後にもらった検査票を見てみると、やっぱり2度のアップ

   デートの時、たしかに1回ずつ『哀』が上がっている。

    「1回目は秋頃、2回目はお正月の頃だから…けっこう最近ね」

    「なにかの機能といっしょにくっついてきたんじゃないですかあ?確か…えと、何だったかな?

     たしか人を笑わせる機能なのに、なぜか『哀』が一緒に上がるものがあるって聞いたことがありますよ」

    「笑わせる機能で…思い当たり…あるわ!まずこれで1ポイントねっ!」

   たしか機能名は…忘れちゃったけど、まあ、人を笑わせるには哀しみもわかってなきゃダメだってことよね!

   となると、残りは1回。

    「お正月の頃にアップデートしたのはアルバイト機能で、本社から送られてきたのはスノボだったわ」

   わたしの言葉にたるぼちゃんは首をかしげながら応えた。

    「アルバイト機能、ですかあ…これだけで『哀』が上がるって話は、聞いたことないけど…

     でもやっぱりそれしか当てはまらないですよね。」

    「そうねえ。あの時は初詣に行った後しばらくのんびりしてたけど、カレが『やっぱりそれなりに面接の

     準備とかしておいたほうがいいかな?』って言い始めたから、それで本社周辺の地図を探して、交通の

     アクセスとかも調べて、でもわりと近かったからそんな焦りはしなかったけど………あ!」

    …思い出した。

    「愛羅さん?何か、思い出したんですか??」

    「うん。ひょっとしたら、いや、間違いなく…わたしの『哀』が上がったもうひとつのきっかけ。」



   それは、あんなことがあったからかもしれない。








    お正月の気分もまだ抜けきらない冬の日、わたしとカレは面接に向けた準備を進めていた…といっても

   面接まであと1ヶ月以上もあるし、軽く道順とか下調べをしていた程度。私自身はそんな大げさには考えて

   なかったんだけど、カレはけっこう心配してたみたいで、こんな感じのスーツで大丈夫だろうか?なんて

   真顔で心配していたなあ…

    「スーツなんて普段ほとんど着ないからなあ…着るものひとつとっても気になってしょうがないよ」

    「心配しすぎよ〜。うふふ、なんだか結婚式にでも出るみたいね!」

    「うぅ!?からかわないでくれよ、もう…」

   そんな調子でクローゼットの中にしまわれていたスーツのサイズを確かめ、埃を払い落とす。どうやら

   クリーニングに出すまでもなさそうかな?

    「助かったよ愛羅。直前になってバタバタするのって、なんかイヤだからさ」

    「お安い御用よ!なんなら今からでも本社に挨拶に行っちゃう?」

    「そ、それはちょっと遠慮しとく…」

    それにしても…私はカレが萌須田社に入社が確定して、これからずっとずっと楽しいことになりそうだって、

   いいことしか考えられないんだけど、どうしてこんなに緊張してるのかな…?

    少しだけ疑問に思いながらクローゼットを片付けていると、ふとカレが急にたずねてきた。

    「なあ、愛羅…ちょっときいてもいい?」

    「なあに?何でも聞いて〜♪」

    「愛羅は…面接で何が聞かれるか、とか…何も…わからないんだよな?」

    「う〜ん。さすがにそこまでは分からない、かな。でも面接といっても顔見せくらいになるんじゃない?

     そうでなきゃもっといろいろ説明とかあるはずだよ?」

    「そうだよなあ…」

   …まだまだカレの顔は晴れない。ちょっと不安そうな顔もかわいいけど…でも、やっぱり心配事はない方がいいし、

   不安があるなら、わたしが受け止めてあげないとね。

    わたしがじっと穏やかに目を合わせてあげていると、カレはもう少し言葉を継ぎ始めた。

    「いや、もしも…もしも面接で引っかかったら、どうなるのかなって、考えちゃって」

    「面接に、引っかかる?」

   …考えもしなかった。クリスマスのあの夜、社員証のバッジがカレの手に渡ったときから、ずっと入社した後の

   ことばかり想像していたから。それ以前に未来の扉が閉ざされるなんて、ありえないって思っていたもの。

    「面接に落ちたらと思うと…その後のこととか、考えたくなくて…」

   心なしか、カレの声が小さくなっている。

    たしかに、モニターの期間は1年間。その後わたしたちは本社に返されるわけだから、カレが入社できないと

   なれば………一緒に、いられなくなっちゃうかも…しれないのかしら…?

    「だったら、駆け落ちでもしちゃう?」

    「か、駆け落ちだって!?」

    「そう!わたしね、最近『アルバイト機能』インストールしたから、うまくやっていけると思うよ?」

    「…萌須田社から捜索願いとか出そうだけど…」

    「何かに追われながらの逃亡生活!それもちょっとハードボイルドで面白そうじゃない?」

   こんな感じで、ちょっとした軽口を叩いてみたら…

    「あはは…なんか、愛羅とならやっていけそうな気もするけどなあ。ま、確かに難しいこと考え過ぎないほうが

     いいのかな?」

   カレは少し苦笑しながらも元気を取り戻してくれたみたいだった。こういう、ちょっぴり変化球な励まし方も

   悪くないわね♪

    「おにいちゃーん、サッカーの決勝戦、はじまるよー!」

   居間からココちゃんの声が聞こえてきた。そういえば今日は高校選手権決勝のテレビ中継があるんだったわ。

    「おおっとっと、わかった、今行く!愛羅、今日はここまでにしておこうか」

    「そうね。ビール飲みつつのテレビ観戦、楽しみ楽しみ♪」

    「かなわないなあ、愛羅には」

   頭をかきながら笑いかけてくるカレに、わたしも笑みを返した。



    でも…さっきカレが不安に思ったこと。

   『面接に落ちたらと思うと、その後のこと考えたくなくて…』

   妙に耳に残ってしまう、この言葉。決して大きな声で聞こえたわけではない。どちらかというとつぶやくような感じで

   カレが口にした言葉なのに。

    もし、万が一…一緒に居られなくなったら……?

    駆け落ちさえ、許されないのだったら…


    わたしがこうして起動し続ける意味なんて、あるのかしら?

    だって、こうして1年間楽しく過ごしてこられたのも、カレのおかげだもの。カレがいなくなって、今までと

   同じように笑っていられる?同じ味のビールを口にできる?何日もあの声を耳にすることなく、過ごしていられる?

    今までそんなこと、考えたこともなかったけれど…


    もし、離れ離れになってしまったら…わたしは自分自身をシャットダウンさせてしまった方がいいのかもしれない。

    そして、目覚めのパスワードをカレに託して、眠り続けてしまってもいい。再びカレに会える時を信じながら、

   希望を抱きながらの眠りを受け入れて…




    ふと、我にかえってはっとする。何を考えこんでいたのかしら!?

    (ちょっと!?自分らしくないわよ!どうしちゃったの??)

   これは、ごくわずかの思考回路の乱れなのかしら?たまにはメンテナンスしてもらわないといけないかな?

   だいたい、彼と離れ離れになるようなことなんて、あるわけないじゃない。


    その時は、そのくらいに考えていたけれど、今にして思えば…



    あの時、わたしはこれまでにないくらいの『哀しみ』を確かに感じていた。








    「そんなことがあったんですかあ〜」

    「珍しく感じたちょっとした不安から『哀』のポイントが増えちゃった…そんなとこかしらね?」

    すっかり冷めてしまった紅茶を口にしながら、たるぼちゃんとおしゃべりを続けていた。

    まだ冬が終わりきらない時期だから、日が傾くのも早い。西日の眩しさが快かった。

    「でもよかったですよねえ!こうしてちゃんと入社できたわけですし」

    「うふふ、ほんと。」

    実は…面接のときの問いかけ―『一体選ぶとしたら誰か?』―に、わたしのことを答えて欲しかった気持ちも

    なかったわけじゃないけど、それはこれからのお楽しみってことにしておけば…いいよね?

    「たるぼちゃんは、どうだったの?」

    「ウチのマスター、そういうことって全然気にしないんですよー。なんとかなるだろうって、服装なんて

     いつも通りのTシャツとジーンズで面接を受けたくらいですよ?というより面接だって意識もなかったんじゃ

     ないかなあ。」

    頭の上に浮かぶリングをふわふわと揺らしながら、思案顔のたるぼちゃん。

    「わたしのテキトーなところは、きっとマスターのクセがうつっちゃたんですよ。マスターってば、自分のことを

     棚に上げてよく言いますよねえ、もう!まあ…大切にしてくれてるから、うれしいんですけどー。

    「え?最後のほう、なあに?」

    「どうでもいいことですよー。気にしないでくださいな♪」

    …1年も一緒に過ごしていれば、ココちゃんもRUNAちゃんもアイリスちゃんも、そしてたるぼちゃんを

    はじめとした他のコたちも思い出とか絆とか、それぞれの形で作り上げていく。

     わたしに記録された感情のパラメータは、言ってみれば全部カレからの贈り物みたいなものなのね。






    「ただいまー。」

    「お、愛羅、帰ってきたか!メンテナンス、どうだった?」

    いつも通りの顔で出迎えてくれるカレ。玄関のドアを開いてカレの顔がいちばんに目に入ってきた。

    そんなちょっとしたことが嬉しい。

    「ちょっとした発見があったわ」

    わたしは、口許に人差し指を当てながら、興味深そうな顔をしているカレの耳元でささやいた。あたたかな

    吐息を含ませながら。

    「キミが意外と女泣かせだってこと♪」

    「…なんだって!?おい!ちょっと待て!」

    カレの追及から逃れるため、手早く靴を脱ぎ、するりと脇を抜けて居間へと駆けていく。一瞬、ぽかんとした

    顔を浮かべていたカレもあわてて追ってきた。夕飯の支度までまだちょっと余裕があるから…もう少しだけ、

    思わせぶりな逃げ方をしちゃおうかしら♪




     だって、そうじゃない。

     哀しみをまったく知らなかったこのわたしに、そういうコトを教えてくれちゃったんだから。楽しいことしか

    知らなかったお姉さんに悲しみを刻みつけるなんて…『女泣かせ』で間違いないじゃない♪これはきっと

    大好きなビールをいくら口にしても、忘れられないことなのよ。



     責任…とってもらうからね♪ゆっくり、じっくりと、一緒に過ごす中で時間をかけながら。

     そして今度はわたしが、キミの心に消えないモノを刻み込んであげる。






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