〜芝に描かれる物語 vol3〜



    6月。中間テスト明け。

    高校に入ると、中学の頃には出来ていた科目が全く歯が立たなかったりすることがある。

   特に英語や理科系の科目。以前はなんとか問題のパターンを覚えたりしてごまかせたのに、高校レベルに

   なるとお手上げになってしまった経験などはなかろうか?

    野栖中央高校は一応進学校ということもあって、カリキュラムはそれなりのものが組まれている。従って、

   テストが返ってくる時は、中学時代には上げたことのない悲鳴を響かせる学生が続出するのだが、これもまた

   梅雨の風物詩。

    ともあれ、中間テストは終わった。青芝はすがすがしい気持ちで練習場へと向かってゆく。心なしか足取りも

   軽くなるのだった。

    (これで理系科目さえもうひとまわり点がとれてればな…)

    梅雨の晴れ間にぼやく青芝。彼はどちらかというと文系の人間だった…いや、文系の人間であることが

   最初の中間テストで発覚した。中学の頃は数学や理科で平均を滅多に下回らなかった彼だが、ここにきて

   とうとうメッキが剥がれてしまった。

    これまでに返却された中で、現代文79点、世界史91点、数学T66点、化学43点…ちなみにこれらは

   返された順番に並んでいる。せっかく世界史で上がったテンションを下げてくれた理科系の科目に愚痴の

   ひとつもこぼしたくなるものだ。

    「青芝くん、早い〜」

   愛奈がひと足早く先に来ていた。葉桜の間から射す陽の光をきらきらと受けてまぶしく見える。

    「さっさとテストで充満した空気から離れたくて」

    「あは、わかるなあ。」

    「特に化学は俺の今後の宿敵、というか天敵になりそうだ…」

    「わたしは…古文が苦しかったな。逆に化学で稼げた感じ。」

    「…ってことは、葛木さんは理系か」

   ちょっと意外そうに青芝は声を上げる。自分の点が点なだけに、少しばかり尊敬の念が込もる。

    「ん、どっちかっていうとそうなるのかな?まだ自分が何に向いてるのかわからないけど、化学は得意だよ」

    「俺は逆。歴史とか、そっちで何とか帳尻を合わせてる。てなわけで文系確定」

   青芝は肩をすくめながら言った。

    「でも、入学してまだ3ヶ月も経ってないのにこうやって得意とか苦手とか出てきて…自分の進む道が

     決まっていっちゃうのって、なんだか不思議…というより、ヘンだよね」

    「まあ、得意なものがわかればそっちに集中できるけど…」

   青芝は愛奈のふとした疑問に答えきれないでいる。たしかに、文系とか理系とか、今まで意識したことは

   なかったな…

    「ほら、サッカーだって、DFはできるけどFWはできないとか、攻めはできるけど守りができないとか、

     どこで線を引いていくんだろう?」

    「そのあたりは、本人の気の持ちようじゃあないかな」

    「青芝くんもそう思うよね?最近はいろんなポジションができたほうがいいってよく言われるもんね」

   愛奈はサッカー的にふしぎな感性を持っている…青芝はそう感じていた。日常のちょっとしたことまで、よく

   サッカーと結びつけて考えたりできるのだ。青芝はこれまでこういった感性の持ち主に出会ったことが

   なかった。

    (…そういえば、葛木さんとサッカーの関係って、あまり聞いたことはなかったな…)

    ふと青芝は、自分が高校に入って以来、かなりの頻度で愛奈と会話を交わしていることに気付いた。ふつう

   体育会系というものはクラスでも目立つものだが、青芝はその例外でむしろどちらかというと目立たないように

   振舞っている。だから教室内でもそれなりの話し相手はいたものの、それほど深く付き合ったりはしていない。

    青芝にとって、人間の関係の主要な部分は、このサッカー部の中で展開されていたのだ。

    「ところで、青芝くん」

    「ん、んん、何?」

   考え事の最中、愛奈に割り込まれて青芝は素直に動揺した。

    「さっき、わたしのこと『かつらぎさん』って呼んだよね?」

    「そうだけど…まさか……名前、今の今まで間違って覚えてた!?」

    「そうじゃなくて!できれば『愛奈』って呼んでほしいな。ほら、みんなも名前で呼んでるし」

   青芝はちょっと困惑した。なんだって、そんなに呼び方くらいにこだわるのだろう?ただ、特に拒む理由も

   ないので、このマネージャーのリクエストに応えることにした。

    「わかったよ、愛奈…さん」

   なんだか照れくさい。

    「よ、呼び捨てでいいって!」

    「ご、ゴメン!なんだか俺も不自然だなーって思ってたところで」

   2人して吹き出してしまった。

    呼び方がどうとか、なんだか4月のアレクみたいなことを言ってるな…





    アレクといえば。

    あの日、ミニゲームで衝撃的な個人技を披露した後も、彼は不思議な個性を発揮し続けていた。かといって

   よくプロフェッショナルな助っ人外国人の一部に見られるような、我の強いエゴイストではない。監督の指示にも

   よく従っていたし、週替わりの部室掃除の雑用なども特に問題なくこなしてくれていた。

    ただ、不思議と「何か」が起こるのだ。トラブルメーカー…とはちょっと意味合いが違う。

    例えば、練習場に入ってきた犬に追い回されて、なんとか振り切ったもののその代償として干したばかりの

   洗濯物をことごとく土に落としてしまったり(さすがに3年生のマネージャーの前にちいさくなっていた)、6月も

   迎えようというときに突如花粉症が再発したり、部室の床下から一万円札を見つけたり(もちろん監督に届けた)、

   新聞部から異例の密着取材を受けたり…

    どちらかというと、後始末が必要になるような『面倒な』事件を連れ込んでくることが多いのだが、それでいて

   憎まれない。実際はその逆である。

    青芝は最初、アレクの技を盗み出せないか、試みようとした。あの異様にキレイな流れだったリフティング

   ボレーとまではいかなくても、なんとかステップくらいは真似できないかと思ったのだ。しかし…

    (足が、回らない)

    やり始めのころは、受験勉強で体がなまってたからだと言い訳を作ろうとした。しかし、同じ動きをしても

   明らかにステップがスローモーなのだ。結局1週間も経たないうちに技を盗むのはやめてしまった。もともと

   テクニックを売りにしたフォワードではなかったのだから。

    別に構いやしない、俺にはアレクのようなテクニックがなくても、俺ならではの武器がある。

    …そこまでつぶやいて、ふと思った。『自分ならではの武器』とは一体なんなんだろう?中学時代からの青芝の

   フォワードとしてのプレースタイルはポストタイプ。平均的な同年代よりは体格がよい方なので、適任だと任される

   ことが多かったのだ。また、中学時代の仲間たちは『青芝はいい場所にいる』と言ってくれることが多かった。

   偶然かどうかわからないが、これは周囲を見る目に長け、ゴールの嗅覚を備えているということになるだろう。

    しかし、青芝の疑問は消えない。

    (自分にフォワードとしての売りがあるとして…それくらい、アイツにも備わっているのでは?)

   アイツとはもちろんアレクのことだ。どれかひとつでもアレクより優れているものがなければ、自分の存在する

   意味がない。これはやっかみでも何でもなくて、厳然たる事実なのだ。彼より秀でている何かがなければ、

   自分はベンチに入ることもままならないだろう。

    青芝は考え始めると止まらない癖がある。ある時は、自分たちが試合に出る可能性が見え始めた場合の

   フォーメーションはどうなるのかと、1時間以上考えを巡らせたりした。

    まあ、1年生の中で最初にベンチ入りするのは奴だろうな。それくらいは譲ってもいい。監督も対戦相手に

   知られてないスーパーサブの1枚くらいは持っていたいだろうし。問題は2年生になってからだ。2トップなら

   多分1人は3年生、もう片方を争うとなると…いや、最近監督は3トップの練習もしてるし、気にする程では

   ないのか…だいたい、アレクのようなポジションはトップ下でも十分だろう。FWとして使わなきゃならない義理は

   ないはずだ。

    『生粋の、フォワードです!!』

   青芝が少しでも無理やり安心しようとすると、頭の中に4月の自己紹介のときのアレクの声が響きわたる。

   この期に及んで、一番聞きたくないセリフだった…





    高校サッカーというカテゴリー内での大きな大会は2つ。夏のインターハイと冬の選手権である。(プロを含めた

   トーナメントである天光杯や、高校単位でないクラブチームを含めた高窓杯は除く)

    今は夏のインターハイ予選の真っ只中。チームによっては照準を冬に合わせ、インターハイをチーム作りの

   過程としてとらえる学校もある…というより、強豪校はむしろそういったスタンスでいる。そのため、県内最強と

   目される国観もこの時点ではまだ完成されたチームではなく、ベスト8あたりでコロっと負けてしまうこともある。

   そのため、野栖中央のような中堅レベルの高校にとっては全国の晴れ舞台が現実的となる時期なのだ。

    今日の1年生はコートを囲んで球拾いの役割に回っていた。(ただし高石監督は不意打ちのようにして

   『○○、コートの中入って中盤やってくれ〜』などと言い出すので油断がならない)

    「緊張感のある球拾いだなあ。ピッチの外も、中も。」

   青芝の近くでスタンバイしている、元陸上部の中山がぼやいた。

    「監督、俺たちを球拾いにまわしてるフリしてるけど、絶対、俺たちの方も見てるよな」

    「間違いなく…でなきゃ『しっかりゲーム見て、球をとりやすい位置にいろ』なんて言わないだろうな…」

   青芝もうなずいた。

    中山は元陸上部だけあって足が速い。そのため、ピッチを割ったボールにはわりとカンタンに追いつくのだが…

    「それ、飛んでいけ!…あ?あちゃあ〜」

   蹴ったボールは狙ったところから45度ほどズレて飛んでいった。1年生、焦らなくていいからしっかり返してくれ、

   そう叫ぶ3年生の声が容赦なく飛んできた。

    「ん、プレッシャーだね」青芝が戻ってきた中山の声をかける。

    「足には自信あんだけど…ボールを蹴るってのは別問題だな。ドリブルも下手だし」

   中山は頭をかきながら苦笑いした。

    「やっぱ、高校からサッカーってのは、珍しいのかな?」

   確かに、と青芝は言いかける。しかし、自分の能力自体に大きな疑問を抱きつつある今、そんなに大きいことを

   言える立場でもない。

    「珍しいかもしれないけど…ただ、Jリーガーでも高校からサッカーを始めたってプレイヤーを何人か知ってる」

   青芝がそう言うと、中山は少しほっとしたようだった。

    「ほう、そうなんだ?それを聞いてちと安心したぜ。何しろ…」

   中山の視線がアレクへ移る。監督の指示を受けている。そろそろピッチに入りそうだ。

    「あんなのを見ちまうと、なあ…」

   中山は肩をすくめた。青芝には中山の気持ちが痛いほどよくわかる。いや、中山はサッカーの経験がなかった分、

   アレクの技を見て青芝以上に超えがたい壁を感じてしまっているかもしれない。

    「クラス、同じなんだよ」

    「へええ、いつもあんな感じ?」

    「変わらない。なんだか、面白い。本当に。」

   つくづく、裏表のない人間なのだろう。アレクというのは。

    「テストの点も面白かった。ちらりと見えたんだが…」

   中山は小声になった。青芝はなんだか妙によろしからぬことを話しているような気分になったが、好奇心が

   上回った。

    「で、やっぱり英語が得意とか…?」

   言ってから青芝は、ちょっと短絡的だったかな、と思った。考えてみれば、ブラジルはポルトガル語だったから。

   ただ、外人は英語が得意だという意識はどうしても抜けなかった。

    「それが、英語はけっこう苦手みたいでな、点数にして42」

    「ありゃ」

   青芝は拍子抜けした…と同時に、何故だかアレクらしいな、と思ったりもした。あんなに日本語ができるんだから、

   ブラジルではネイティブの学校じゃなくて日本人の学校に通っていたのかもしれないな…

    「そのかわり、現代文なんだが…これがすごい」

   神妙な面持ちになる中山。

    「なんと97点だ」

    「…きゅうじゅうななあ!?」

   今度は本当に驚いた。今回の現代文、大問が3つあったのだが、担当教師の酔狂で3つめはどこぞの難関大学の

   問題がそのまま出てきたのだ。青芝は現代文は得意な方だったが、この3つめの大問のせいで思ったほど点は

   伸びてくれなかった…

    「どっちかっていうと、日本人より日本人だな…」

    「俺たちより日本人かもな」

   青芝の素直な感想に、中山も同意したのだった。

    ピッチに目を向けると、アレクが動き回っている。あれだけの技を見せ付けたものだから、ボールもけっこうな

   頻度で回ってきていた。チーム組成を知らない部外者が見たら、彼を3年生と見間違えただろう。

    片方のチームの陣に動きが見えた。3人のディフェンスのうち1人がコートを出て、右サイドを担当していた

   プレイヤーがディフェンスラインまで下がってくる。

    「おーい、青芝ー、」

    「!はい?」

   監督の声に、アレクのテストの論評を打ち切り、あわてて青芝は声を返した。

    「ディフェンスラインに入ってくれ。4バックをテストしたいんだ」

    「わかりました……しかし、俺か。びっくりした…」

   気を落ち着かせてから、足を小刻みに動かし、ピッチに入ろうとする。

    「頼むぜ、経験者っ!」

   少しばかりおどけた調子の中山の激励。

    「がんばるよ。…でも俺、本職はフォワードなんだけどな…ま、いいや」

   ひとまずポジションを確認。相手を見ながら、しっかりゲームに絡んでいけばいいだろう。たぶんただの

   数合わせだ。

    なお、今のアレクは青芝の味方側。そのため、青芝がアレクの攻撃を止めるような場面は、当然のことながら

   実現しない。青芝は後ろからアレクの動き回る様子を眺めていた。

    (相変わらず…わけのわからない奴)

   4月以来、何度となく口にしたセリフを、もう一度口にしてみる。

    …そして自分は、その『わけのわからない奴』が気になって、ポジション争いに考えを巡らせ、テストの点やら

   関係もないようなことまで知りたがっている。これは、焦りと呼んで然るべきものなのだろうか?

    (そういえば、ディフェンダーって、こんなにゴールが近いんだな)

   青芝とてディフェンダーを全くやったことがないわけではないが、改めてそのポジションに立ってみると、あまりの

   違和感につい何度も後ろを振り向きたくなってしまった。自分のいる場所は最後の壁。『最終ライン』という言葉の

   意味が、ようやく分かったような気がした。なかなか点が入らない試合では、こんなシビアな場所でDFたちは

   苛つきそうな心を必死に抑えながら戦っていたのだろう。自分の手の届かないところにいる味方FWを見つめ

   ながら…

    今の青芝にとっては、まさに異質な場所。

    (なに、弱気になってるだけだ。気にするな)

   青芝は、わざと口元をゆがめて笑った。そしてひとつ、大きな深呼吸をすると、ひとまず今日のつとめは果たそうと、

   雑念を捨ててゲームに集中し始めた。





    高石監督の視線は、アレクのプレーを見るのと同じくらい実は青芝にも注がれていたのだが、本人はまだ

   知る由もなかった。



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