〜芝に描かれる物語 vol4〜



    青芝の帰るべき家は、当然のことながら『青芝』姓ではない。野栖中央高校の校舎から歩くこと20分あまり、

   竹林を貫く一本道の奥に建つ一軒家には「神凪(かんなぎ)」という表札がかかっている。青芝は中学校の

   2年目からずっと、この家に居候していた。

    家の主はかなり遠縁の老夫婦。初対面の時から嫌な顔ひとつせず青芝を迎えてくれた。子供たちは

   完全にひとり立ちし、この実家に立ち寄るのも稀となっていた。

    居候を始めて2年以上。これは青芝がひとつの住まいに居続けた最長記録だ。実際に青芝も今までにない

   居心地のよさを感じていたし、神凪老夫婦はこの家自体を青芝にやってもいい、とまで言ってくれたのだ。

    青芝は、ひとまず居場所に関してしばらく悩むのはやめてもいいのだ、と感じた。

    同時に、ここは自分が居候する最後の場所になるだろうとおぼろげに感じとっていた…。

   

   

   
    「ごちそうさま」夕食を終えて青芝は箸を置いた。

    「じゃ、風呂洗っておくから…失礼しまっす」

   そのまま居間から立ち去ろうとすると…

    「おや、ずいぶんとまた早いじゃないか〜もう少しゆっくりしていったらいいのに」
   
   名残惜しそうに、家の主である神凪八城がぼやいた。この人、相当な年になるはずだが車で運転もするし、PCで

   日記をつけたりもしている。重厚な見た目に反して新しいものが好きで、人当たりがいい。

    「そうよお。今日は珍しくサッカー中継もやってるし、ゆっくりしていったらどお?」

   相槌を打ったのは妻の鎌江。青芝の趣向を熟知している。

    「そういえば今日は水曜日だったか…じゃ、これだけ見ていこうかな。隣の県の電波が入るのは

     ありがたいなあ。」

   老夫婦に説得され、青芝は一度上げた腰をふたたび下ろすことにした。テレビ画面の中では青と白のユニフォーム

   が互いにボールを蹴り合っていた。ディビジョン2にありがちな、泥臭い試合になりそうだ。ちなみにN県にはまだ

   プロリーグのチームはない。従って代表戦でもない限り、わりと落ち着いて見られるはずなのだが…

    「おおっ、抜かれた!止めろ!何!?このくらいでカード出るのかあ〜?」

   八城はすっかりヒートアップ中だ。

    「おじさん、今のは後ろから足かかってたから仕方ないって」

    「んー、そんなもんかあ。しかしそうなると、今日は荒れそうだなあ。」

   こうしてサッカーの試合の時には八城が熱くなり、青芝が冷静に分析してみせるのが恒例となっている。

   鎌江は専ら見物に徹する役だ。

    「それにしても辰巳くん、最近、席を外すのが早くなったわねえ」

    「高校の勉強、思った以上に難しくて…時間考えないと追いつかないんだ。進路を考えると。」

   青芝は一応、進学を考えている。

    「ん?どこかのクラブチームからオファーとか、あるんじゃないか?」

    「おじさん!そんなんだったら俺、もうスポーツ推薦でもっとすごい強豪…国観とかに行ってるって!」

   八城の冗談に聞こえない口調を、青芝は真顔でさえぎった。

    「だいたい推薦で入ったりすると、コケたとき取り返しがつかないし。」

   青芝は言葉に実感を込めた。勉強にしろスポーツにしろ、強い推薦をバックに進学してしまうと、万が一

   得意としていたはずの分野で挫折したとき、しゃれにならない袋小路に迷い込んでしまうものなのだ。

    青芝は中学3年の頃、いくつもの悪い例を聞いていた。

    「ネガティブな考えはいかんなあ、辰巳くん。今プロでやってる選手だって、みんながみんな高校時代に

     鳴らしていたわけではないだろう?」

   八城は青芝がサッカーで生きていける(可能性が高い)と踏んで疑わない。青芝は純粋にその信頼が

   嬉しかったのだが、

    「わかってるよ。でも進学は変えられないかな。大学出の新人の方が、サッカーではわりと出番が多いんだ」

   青芝は自分の主張を曲げなかった。





    7月になると海からの潮風も熱気を帯びてくる。

    結局、インターハイ予選はベスト16で敗退。野栖中央は冬の選手権予選に照準を切り換えることになった。

   ちなみに、ベスト16での戦いではわずか5分ではあるが、1人だけ1年生が途中交代で出場している。

    29という、あまりFWらしくない大きな数字を背負ったそのプレイヤーは、アレクジーニョその人だった。





    (短い時間だったけど、堂々としたプレーぶりだったな…)

    青芝は何度も思い返す。アレクが初出場したあの場面。1−4で負けている場面でのアレク投入となれば、

   目的は明らかだ。−経験を積ませることー

    勇み足でピッチに躍り出たアレクは、とにかくボールに触れようと走り回る。先輩方もアレクの潜在能力は

   知っているから、できるだけアレクにボールを集めようとする。一度、フリーでボールを持って相手ボランチを

   あっさり抜いたりもした。その後すぐ囲まれてしまい有効な攻めとはならなかったが、よりチームに溶け込ませ

   れば、大きな武器になる…そんな可能性を感じさせるプレーだった。

    「秘密にしといた方が戦略上はいいのかもしれないけど、ついつい使いたくなるんだよねえ。」

   負けたにもかかわらず、笑みさえ浮かべていた高石監督の言葉も忘れられない。

    (俺も…何度か練習のフォーメーションに混ざったりはしている。別に悪いペースじゃない)

   言い聞かせるように、青芝はまだ誰も来ていない部室でつぶやく。汗ばんだ額を何度もぬぐいながら、

   練習用のビブスを外に運んだ。

    「やっほー。青芝くん、また早ーい♪」

   まだ制服姿の愛奈が手を振りながら部室へと入ってきた。青芝と話す口調もすっかり慣れっこといった感じだ。

    「暑いね。夏服でもきついよ〜」

   練習メニューをはさんだファイルで顔をあおぎながら愛奈は言った。ちなみに今日は期末テスト前最後の練習で、

   前もって監督は少し遅れることになっている。

    「海が近いから少しはマシかと思ったけど…そうでもないな。」

    「このへんは日当たりが良すぎるからかもね。台風も来るし。」

   …夏服の愛奈はいつもより身軽そう。特に肩のラインとか無防備なくらいによく見えてしまう。それでいて仕草は

   いつも通り変わらないものだから、青芝はなんとなく落ち着かない。

    「まとめちゃおっと」

   そう言うと愛奈は肩まで伸びた髪を両手でまとめ上げ、ゴムでひとつに縛り上げた。ちょっと短めのポニーテール。

   この間、5秒足らず。

    目の前には、青芝が見たことのない少女がいた。

    「こうでもしないと、かゆくて…?どうしたの?」

    「いや…見違えるんだな…って思って。」

   青芝は素直に言いすぎた。とっさの判断のとき、嘘がつけないタチだ。

    「もう、それって普段のわたしがイイ感じじゃないってこと?ひどいなあ」

   ちょっと大げさにふくれてみせる愛奈。青芝は大いに動転した。

    「違う!それは単に、こんな髪型もするんだっていうか、とにかく、別人に見えたってことだって!」

   全くフォローになっていない。聞く人が聞いたら火に油を注いでるとさえ思われかねない言葉だ。青芝は

   自分自身にいら立った。

    「くふふふ…ごめん、冗談だよ♪青芝くんのそういう顔見るの、なんだか楽しくて」

    「…!ひどいな…本当、カンベンしてくれ…」

   青芝は苦笑いした。真剣にホッとしてしまう自分が情けない。今度からは言葉にもっと気をつけないとな…よそに

   何度も居候してたから、このへんの注意は払っているつもりだったが…

    「素直に『この髪型もチャーミングだねっ!』て言えばよかったんだよ〜。そうやってフォローしなきゃあ。」

   ひっくり返ったような声で部室に入ってきたのは、アレクだった。地が浅黒いせいか、アロハシャツでも着せたら

   似合いそうな雰囲気である。

    「俺は言葉を知らんもんでな。」

   青芝はそっけなく返した。サッカーのスキルはともかく、人間的にアレクとは相容れないと考えている。

   当のアレクはといえば、部室に入ってからも青芝と愛奈の顔を渋い表情で何度も交互に見つめるのだった。

   明らかに何か言いたげだが、青芝は気にしないふりをする。だが、無視する前にアレクが口火を切った。

    「…愛奈、辰巳とばっかりしゃべってない?」

    「ん、多いといえば多い…かな?青芝くん、いつも来るの早いから。」

   愛奈は特に気にするでもなく答えたのだが、アレクは納得しきらない様子。

    「ず〜る〜い〜。俺だって愛奈といっぱいおしゃべりしたいのに〜!さてはタツミ、クラスの掃除さぼってる?」

    「んなわけあるかい!」

   さすがに鼻であしらうというわけにはいかなくなってきた。一体何故ここまでしつこいのか?だいたい愛奈と話し

   たいのなら、練習前でなくても、練習後とか、いつでも時間がとれるだろう…

    「このやろ、男の嫉妬はしつこいんだぞ!っと」

   もはや本気で言っているのかどうかもわからない。かたや愛奈はいやな顔もせずにアレクの言葉をひとつひとつ

   聞いている。青芝は愛奈の落ち着きに感嘆していた。

    「そうだ!いいこと考えた♪」

   今度は一体なんなんだ…いいかげん青芝が部室の外に出ようとしたところで、アレクの声が響いた。

    「タツミ、勝負しよう!」

    「…勝負う??」

   青芝は思わず気の抜けた声を出してしまった。自分とアレクと、何を勝負する意味があるというのだろうか?

   しかしアレクは先ほどの様子とは打って変わって楽しそう…というよりは心躍らせている様子だった。

    「勝負に勝った方が、愛奈と一日付き合える…というか、デートできるっ!うん、それがいい!」

   あまりにも話が飛びすぎだ。だいいち自分はアレクに恨みを買った覚えも因縁もない。FWのポジション争いの

   ライバルとして意識することはあるが、それは愛奈とは関係のないことだ。

    「あのな、そんな簡単に…」

    「ルールは…そうだな。イタリアのロベルト…ど忘れしちゃった。とにかく、彼は女の子の頭に置いたリンゴを

     ナイスキックで撃ち落として、その子のハートも射止めたって話があるんだ。だから…」

    (こいつ、人の話聞いてねえな…)

   どうやら自分のアイデアに酔っているのだろう。夢に浮かされたように話が止まらない。青芝は呆れ果てて

   止める気も起こらなかった。

    「愛奈の頭にリンゴを置いて、蹴ったボールで見事撃ち落した方の勝ちってことにしよう!」

   アレクの名案、というより迷案。青芝は驚きを通り越して噴き出しそうになってしまったのだが、努めて平静を

   装って言った。

    「…だいいちなんで愛奈を巻き込むんだ?こんな危なっかしいルール、考える方が…」

   そこまで言いかけて愛奈が声を上げた。

    「あ、それ知ってる!ロベルト・バッジオの話だよね?ウィリアム・テルの真似をしたって」

    「そうそう、そんな感じ!」

    「面白そう!やってみようよ!」

   ここに来て意外な賛同者が出てしまった。まさか愛奈自身が乗り気になるとは…この子は自分がわけのわからない

   勝負のネタにされているというのに、不愉快な気分にはならないのだろうか??

    (いやいや不愉快に決まっている。それを承知で気の済むようにやらせようとしてるに違いない。

     やっぱり愛奈は大人だ)

   青芝はそう考えることにした。

    「じゃ、早速準備だ!みんなが来る前に」

   アレクは青芝に悪戯っぽいウィンクを送ると、踊るように外へと出て行った。青芝は状況がつかみ切れず、

   しばし呆然としていたのだが…

    「さ、青芝くんも行こっ」

   屈託のない愛奈に誘われて、そのまま外へと付いていくしかなかった…なんとなく、いまだ夢うつつの気分だ。

    「それにしても、愛奈…」

    「ん、なあに??」

    「…よくロベルト・バッジオの話とか知ってたな…俺、初めて聞いたよ」

    「昔、テレビのサッカー番組で言ってたの、覚えてたの」

   本当は別のことを聞こうとしていたのだ。

    『愛奈は、どっちに勝ってほしい?』と。

   しかし、そんなことを聞けるはずもない。子供じみた勝負にむきになっていると思われるのも心外だったし、

   それ以前にこんなことを聞くのは恥知らずだという考えが青芝の頭の中にあったからだ。

    仮にアレクが勝っても、愛奈は適当にあしらうだろう。

    …では、自分が勝ったら?アレクの決めたルールに素直に従う??すなわち休日外に出て、サッカー以外の

   目的でどこかに出かけて、時によっては歯の浮くような「気の利いた」言葉(さっきのアレクみたいに)を愛奈の

   ために用意する…???

    (知ったことか)

    青芝はひとまず目の前の勝負に集中することにした。運動部系は負けず嫌いが多いが、サッカー部のFWと

   いうものは特にその傾向が強い。青芝も例外ではなかった。

    しかし、青芝は今回の勝負に臨むにあたり、中学時代の最後の大会のときには感じなかった異質な熱を

   体の芯に感じていたのだった…




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