〜芝に描かれる物語 vol5〜



    ルールは単純。愛奈の頭の上に置かれた空気の抜けたマスコットボール(さすがにリンゴはなかった)を

   11メートル離れた場所からバウンドなしのキックで撃ち落した方の勝ちとする。ただし、2人に与えられた

   チャンスは1回のみ。従って、2人の結果が同じだった場合はドローとする。

    ちなみに11メートルというのはPKになった場合のボールとGKの距離と同じ。キッカーにとっては遠く、

   GKにとっては近く感じるという、なんともいじわるな距離だ。





    「本当はやっぱりリンゴの方が感じ出たんだけどなあ」

   アレクが頭をかきながらぼやく。本当は近くの店で買って来れないこともなかったのだが、さすがに手間が

   かかるし、用意している間に他の部員が来てしまうということで、青芝が説き伏せたのだ。

    「お遊びに付き合ってもらえるだけでもありがたいと思え。ったく…」

   顔にしわを寄せて青芝が言い捨てると、アレクは妙にはっきりとした声で言った。

    「遊びじゃない」

   その瞬間だけ、アレクの顔は笑ってなかった。1秒経たずして、すぐのんきに鼻歌など歌い始めたが。

    (そうかよ…なら、俺だって遊びで済ます気はないからな)

   青芝は奥歯を噛み締めた。冷静に、という選択肢は頭の中になくなりつつあった。

    「どっちから先に蹴るの?」

   この勝負で一番あおりを食らってしまいそうな当人―愛奈が一番楽しそうだ。マスコットボールのへこみ

   具合を指先で確かめながら、早くも頭の上に収めようとしている。

    「コイントスで決めよう…あ、コインどうしよ…」

   自分で言っておきながら体中のポケットをめくり、小銭を探そうとするアレク。

    「…俺の使えよ」

   青芝はしぶしぶジャージのポケットに入っていた100円玉を取り出し、アレクに渡した。

    「サンキュっ!では運命の一投…」

   アレクは少しもったいぶりながら100円玉を宙に投げると、落ちてきたところをしっかりと右手の甲で

   受け止めた。もちろん同時に左手でコインを覆い隠してある。

    「どっち?」愛奈が決断を促す。

    「花が描いてある方!」アレクが叫ぶ。

    「俺はその反対」青芝はコインを覆い隠しているアレクの手を見もしないで答えた。

   アレクが左手を開くと、100円玉は満開の花の図柄を上の面に見せていた。

    「桜は日本人の心!俺、先攻ね」

   楽しげにボールを手にするアレク。青芝は100円玉を取り返しつつ、

    (100円玉の花って…桜だったのか。こいつ、よく知ってたな…)

   少しピントのずれたところに感心していた。





    決闘の前に一陣の風が吹き抜ける…というと、なにやら寒々しい静けさを彷彿とさせるのだが、実際に吹き

   つけるのは7月の潮の香りを帯びた熱風に近いものだった。この暑さの中での勝負事は、集中力を奪う。

    マスコットボールはリンゴよりは一回りほど大きい。しかし、11メートルの距離を置いたキッカーの視点から

   すれば、それはリンゴと大差ないように思われた。

    「がんばってねー♪」

   愛奈ののんきな声が風に乗って届いてくる。その顔は恐れる様子もなく、ただただ楽しげだった。

    「…ごめん、愛奈。リズムにのって背伸びとかするの…ちょっとストップ。さすがに、やりにくいから」

    「あれ?あ、ごめんね。じゃ、じっとしてるから」

   愛奈はアレクのリクエストに素直に答え、両手を後ろに組んで微動だにしなくなった。その表情は、やはり

   変わらない。

    (心臓の強い子だ…)

   青芝は思った。自分があの立場なら…さすがにサッカーを経験しているからボールの打撃に多少の慣れが

   あるとはいえ、間違いなく力んでしまうだろう。なのに、愛奈の姿勢はまったくの自然体なのだ。それこそ

   PK戦に望む名GKのように。

    一方のアレクといえば…珍しく緊張しているのか、目を閉じて左手を胸に当て、すうっと深呼吸している。

   しかし一度目を開くと、ひとつ笑った後、ためらうことなく助走をとり始めた。その距離、近すぎでもなく、

   だからといって遠すぎることもない。

    アレクの深い目は一瞬だけ愛奈の瞳を捉えたようだったが、その視線はすぐ上へと移った。狙いは当然

   頭の上のマスコットボール。

    (あいつ、どう出る?)

    決して望んで受けた勝負ではないが、青芝はこれからのアレクの判断に目が離せないでいた。あいつは

   どんなキックを打つのだろう…?

    「ほっ、はっ、ループ!」

   1、2の、3のリズムを伴った助走(というより軽快なステップ)から繰り出されたアレクのキックは、インパクトの

   音もしないくらいにふわりと柔らかく浮き上がった。ボールの軌道ははっきりと目で追えるくらいにゆっくり

   している。

    ボールの描くアーチは、たちまちのうちに寸分違わず愛奈の頭の上に置いてあるマスコットボールにたどり

   着いた。そして、少し遠慮がちに短い音を立てると愛奈の頭から目的のものをゆっくりと、紳士的なタッチで

   掠め取った。

    地面に落ちる2つのボール。アレクは見事クリアしたのだ。

    「やったあ!」

   喜びを露わにガッツポーズするアレク。愛奈も拍手で褒め称える。

    「すごいね!試合のPK戦でも使えるんじゃない?」

    「いや試合じゃここまでうまくいかない。愛奈のためだからできたのさ!」

   愛奈の賛辞にここぞとばかりにアレクは自分の思いをアピールする。ただ少しばかり照れているのか、愛奈の

   表情をまっすぐには見られていないようだ。頭をかいたり、腕を回したりして、こらえきれない喜びをなんとか

   操ろうとしている。

    「次は俺か…」

   青芝はボールをセットし直した。

    「よーし、バッジオと同じ道いけるぞっ!彼は実際にその子をお嫁さんにしてるんだよね♪」

   …青芝はひとまずアレクが浮かれ終わるまで待つことにした。このまま放っておけば、青芝の出番のことは

   忘れてしまいそうなくらいだ。

    (…アレクのキックは正解だった)

    青芝はしばし思いを巡らせる。ふつうのPKならGKを外してコースを狙うのみ。しかし今回の勝負では、ある

   一点を正確に狙わなければならない。しかも失敗すれば愛奈を傷つけてしまうおそれもある。

    柔らかいタッチでのループシュートは、正解中の正解だったのだ。

    (俺は、どうすればいい)

    アレクと同じようにループが打てればいいのだが、青芝には正確な浮き球を打つ自信がなかった。もっとも

   技術があったところでアレクと似たようなシュートを打ちたくはなかったのだが。

    はなから勝負を捨てて、わざと外れ球を打ち上げてしまえば愛奈を傷つけることはない。しかしそれはFWと

   してのプライドが許さなかった。

    (…ひょっとしたら、愛奈はアレクが勝つことを期待してるんじゃないのか?)

   青芝の頭をふと疑問がかすめる。勝負のだしにされているというのに不自然なくらいに楽しげな愛奈、ループを

   正確に決めてみせたアレク…つじつまが合う。

    「もいっかい、準備できたよー。青芝くんも、がんばって!」

   そんなことはないはずだ、落ち着け、愛奈もああ言ってくれている。これはアレクのわがままに付き合っている

   だけなのだ。

    だから、勝敗は関係ない……?

    …いや、それとこれとは話が別だ!

    青芝はアレクより少しばかり長めの助走距離をとった。こうなったらあいつとは違った形で成功させてやる。

   青芝はできるだけ愛奈の顔を見ないようにした。アレクとは違う方法で、違う方法で…

    助走距離がもうひとまわり伸びた。意を決した青芝はボールに向かって駆け出す。少しばかりカーブをかければ、

   強めのボールでも勢いで的を落としてくれるだろう。

    『彼は実際にその子をお嫁さんにしてるんだよね♪』

    (よりによって!!)

   とんでもない台詞が青芝の頭の中をリフレインし、残っていた最後の冷静さのひとかけらを打ち砕く。足を振り

   抜いた瞬間、ボールはライナー性…というよりは無慈悲な弾丸の威力をもって飛んでいく。

    ボールの軌道の先には、愛奈の顔があった。





    愛奈の目の前で静止するボール。時間が止まっているわけでなく、実際に止まっていたのだ。青芝も

   アレクも声にならない声を上げていたのだが、ボールの蔭から…

    「ばあ♪」

   愛奈の元気そうな顔が飛び出す。傷ひとつついてなかった。

    早い話、愛奈は青芝の弾丸シュートをナイスキャッチしていたのだ。

    「す…すごいぞ愛奈!」

   いち早く驚きの金縛りから解けたアレクが声を上げる。

    「えへへ、中学の頃はキーパーやってたんだ!一応」

    「中学の頃…ってことは、そっか!女子のサッカー部があったんだ!」

    「うん。できれば高校でも続けたかったんだけど…女子サッカー部のある高校って少なくて。」

   青芝は半ば呆然としながら2人のやりとりを目にしていた。話は切れ切れにしか聞こえない。

   冷静さを欠いた自分のシュートが愛奈に止められた。たったそれだけの現実を理解するのに、しばらくの時間を

   要さねばならなかった。

    「ごめん、愛奈…最悪だな、俺は」

   これだけは言わねばならない。青芝はやっとのことで声を絞り出した。

    「平気だってば〜、そうでなきゃわたしもやろうなんて言わないよ。あ、でも最初からGKやってたってこと、

     言っておけばよかったかな?余計な心配かけちゃったね。」

   愛奈の気遣いが痛い。本来ならば怪我してもおかしくないのだ。わめかれ、騒がれ、ののしられ、平手の一撃

   くらい喰らってもおかしくないのだ。しかし、愛奈は青芝を気遣った。

    青芝はアレクの方を向いた。目を合わせないようにして。

    「よかったな。俺の負けだ。」

   わざと『アレクの勝ち』とは言わなかった。この結果はあくまで自らの弱さが跳ね返ってきただけのこと。

   青芝は精一杯の意地を張っていた。

    (もう、無理だ)

   踵を返し、部室へ駆け戻り、荷物をまとめる。ジャージのまま着替えず、制服を乱暴に鞄に押し込み、そのまま

   外へ出た。

    「あれ…ちょっと!青芝くん?」

   戸惑う愛奈の声が聞こえてきたが、振り返らずに早歩きで練習場から離れていった。遠目にサッカー部員たちが

   やって来るのが見えたので、方向を急転換し、裏門を目指す。

    「あら、青芝くんじゃない。こんなところでどうしたの?」

   髪の長い、落ち着いた雰囲気の女子生徒とすれ違う。3年生マネージャーの衣川珠里だった。面倒見がよく、

   後輩からも人気のある先輩だったが、今は会いたくない人だった…

    「すいません、ちょっと、帰ります。」

   青芝は詮索されないよう、短く言い残して裏門から出て行った。





    平日の練習は2時間。だから帰るにはちょっと早い。ましてや夏も迎えようという頃、そんな気分になるには

   明るすぎた。結局あてのない寄り道をしながら時間つぶしをするしかなかった。

    ジャージのズボンのポケットに手をつっこむと、一枚の100円玉が入っていた。さっきコイントスで使った、例の

   100円玉だ。

    見れば見るほどに、不愉快になってくる。

    (畜生ッ!)

    青芝はそのいまいましい100円玉を、惜しげもなく投げ捨てた。乾いた音を数度立て、どこか見えないところへ

   転がって消えていった…






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