【A.I.LoveYou!とは何だったのか?】




2009年11月号、A.I.LoveYou!「愛の生活」が最終回を迎えた。
これをもってA.I.は物語が動き始めた2006年3月号から数えると
3年半以上続いた連載に終止符を打つこととなった。

A.I.はG’sの読者参加企画のひとつでありながら、他の読参と比べると
いくつか異色な性格を有していた。特に、
・キャラの個性と物語において、読者の意向をかなりダイレクトに反映していた
・最初から最後までモノクロページ内にとどまっていた
この2点が挙げられるだろうか。

A.I.が最終回を迎えた今、ここでは思い出話を交えつつ、
『A.I.LoveYou!』とは一体何だったのか改めて考えていくことといたしたい。
多少(当然というべきか)筆者・天瑞烈Zの主観が強くなる点は
前もってご了解いただくことする。

また、通常に比べて多少偏見強めの文体になっていたりするかもしれない。
しかしそれもまた自分がA.I.を考察する上で不可欠なものと思うので、
あえて修正を加えないものとした。





○A.I.が生まれた背景

2005年11月号。ここでG’sは大きな転機を迎えている。
大幅なリニューアルに伴い、本誌そのものの厚さがかなりボリュームあるものとなったのだ。
このときの主な変更点は以下のとおり。
・ゲーム、アニメ記事の大幅な増加
・コミック連載の増強
なお、この時期に連載されていたG’sの読参関連の連載を探してみると、
双恋ファンページ「ふたコミ」、フタコイオルタのノベル、
ストパニファンページ、そしてストパニのコミックが第1回目を迎えている。

ここで「読参関連の連載」とまわりくどい言い方をしているのは、
この号において専用ハガキを用いて『参加する』タイプのゲームがないことによる。
ちなみに次号(12月号)においては『リアルデジタルプロジェクト(仮)』と銘打たれた
企画の予告が掲載されている。

なお、双恋はオルタナティブのアニメ放送がすでに終了、ストパニはメイン絵師が交代…と、
それぞれに過渡期ともいえる状況だった。

簡単に言ってしまうとこの時期には一定以上に強力な力を持つ読参はなかったといっていい。
A.I.が生まれつつあったG’sの状況は、そう言ってさしつかえないものだった。





○A.I.という名を冠するまで

そもそもA.I.は最初、作品タイトルを冠していなかった。というより形態がまったく決まっていなかった。
もともと読者ページ内にて『読者発案の企画を作ろう』という発想に端を発したものであり、
コンセプトから登場人物に至るまで、全くの白紙だったのである。

さて、『読者発案の企画を作る』という発想自体、現在進行形で連載されている企画に満足している
状況なら生まれないはずである。穿った見方をすればこの時期連載されていた各企画、どこか
読者の求めるモノからちょっとズレがあったことの証左といえるのかもしれない。


ここでおおざっぱにA.I.が形になるまでの流れを図解すると、

  発案
  ↓
  物語のコンセプト募集
  ↓
  物語のコンセプト決定
  ↓
  登場キャラデザイン募集
  ↓
  登場キャラ決定

と、かなり細かな段階を踏んでいる。おそらく発案の段階で、ここまで作品が具体化すること
予想していた読者はそれほど多くなかったと思われる。
その流れが一気に加速したのが2005年11月号の「カタログ」掲載であろう。見開き2ページに渡って
掲載されたその欄においては、登場ロボットの候補がずらりと並んでいる。



    (A.I.という名を冠する前に展開された『カタログページ』。上位アイデアがずらりと居並ぶ様は壮観。)




これを目にして
「この流れ、面白そうかも」と思った読者は決して少なくなかったのではないか。
投票の結果、レギュラーメンバーとなったのはココ(仮)・アイリス・RUNA・愛羅の4人。
ココの名前にわざわざ(仮)がついていることもちょっとした話題になった。

更に2006年2月号において、この作品の存在感を決定的に印象づける出来事が起こった。
企画にメイン絵師(高階@聖人)が据えられたのである。
それまでは、読者ページ内の企画ということで、固定された絵師の無い状態で話が進む可能性も
あった。しかし、ここにきてプロフェッショナルの絵師が設定され「芯」となるキャラの姿が
固定されたのである。この時点でこの作品の可能性は更に広まったといっていい。
(実際、わたくし天瑞はこの時点からA.I.を強く注目し始めている)





○盛況、A.I.

『A.I.LoveYou!』という実に言い得て妙なタイトルが与えられたこの作品は順調な
滑り出しを見せていた。投票結果のページに掲載されるイラストやコメントは、歴代の
カラー読参にも負けていない熱を帯びていた。

専用ハガキのないページとしては異例のことではないだろうか。
投票総数などは公表されてないが、第1期メンバーの募集数が200を越えていたとの
ことなので、この数字をひとつの目安とすることができそうだ。

簡単に第1期のルールをおさらいしておくと、
見たいエピソードのキャラクターを投票で決定、更に各キャラにアイテムや機能を割り振っていくと
いうやり方だ。ロボットたちには感情パラメータが設定されているが、
アイテムや機能でどのパラメータが上がるかはわからない(ある程度予想することはできるが)
当然、アイテムや機能も読者からの応募によるため、
上げたいパラメータから逆算してアイテムや機能を考えることもできる。
ロボット達の性格を決める上で、読者に与えられた自由度はかなり大きいのだ。
(もったいぶった言い方をすれば、「世界を構成する神の力の欠片を与えられた」ということである)

2006年5月号のA.I.レギュラーコーナーにて掲載されている投稿数は、
イラスト×7、文字メッセージ×29(コスチューム・アイテム選択を除く)となっている。
もともとモノクロ読者コーナーに投稿する人がハガキ慣れしているとはいえ、
ひとつの作品(しかも色のついてない)にこれだけの投稿が寄せられたのは、ひとえに期待の
大きさゆえではないか。

※蛇足ながらこの号で双恋のファンページが最終回を迎えている。
 その中には『今後、双恋関連のおたよりはMOESTA!のほうにお願いします!』
 と付け加えられている。
 どうやらこのフレーズ、最終回を迎えた作品に与えられる定型句のようである。





○閑話休題・理想の読参とは?

ここで少し本来から外れ、「いい読参とはどんなものか」について考えてみたい。
個人的には以下5点の条件を挙げさせてもらった。

@「主人公=読者」であり、主体的にその世界に関わっていける
Aメインの絵師の画力が一定以上であり、かつ有名すぎない
B参加の敷居が低め
Cキャラが魅力的なのはさることながら、「品性」があること。
D当然テキストにも品性が求められる


これをA.I.に当てはめてみると…

@はしっかりクリアしている。もっとも、「自分(読者)」が求めて設定したはずのアイテムや機能に
主人公がびっくりしたりしているため、多少のズレはあるかもしれないが、誤差の範囲内だろう。

Aについては少し注釈を加えたい。
人によってはむしろ「絵師は有名なほうがいい」と考える人もいるかもしれない。
しかし、少なくとも読参という形態が『自分がその世界により深く入っていくための手段』と
するならば、ある程度絵師のネームバリューはほどほどであってほしいというのが個人的な
思い(というかわがまま)である。
作品名を目にしてキャラ名より先に絵師名が浮かんでしまうのは、ちょっとさみしいと思うのだ。

なお、シスプリのように企画の進行に伴って知名度が上がっていくのはアリだろう。
A.I.の場合、これもまたクリアしているといえるだろう。
高階氏は東方の同人関係では有名だが、A.I.のココ(仮)の立ち絵を見て初めて知った人も多いはず。
(実際にわたしがそうでした)

Bの『敷居の低さ』については多方面の見方がある。
一番の要素は専用ハガキの有無。参加するための手間が少なくなり、結果として敷居が低くなる。
また、例えば参加する側の絵の技術の有無によって参加レベルに差異が生じないかも考える必要が
あるだろうし、更には『キャラクターの外見的属性』等も考慮すべきだろうか。

A.I.については最後まで専用ハガキが付くことがなかった。しかし、『絵が描ける、描けない』で
参加層が限られることはなく、モノクロの読者ページに目を通しさえすれば参加の敷居はかんたんに
またぐことができた。
ただし後述する『愛の生活』以降は「日常を絵あるいは文章で表現する」という条件が加わったため、
敷居はやや高くなってしまった。

Cについては、ある意味「あたりまえ」のことではある。
伝統的にG’sの読参キャラには基本的に『今風すぎる』言葉を使う者はいない。
内部的な世界観は美しいものであってほしいという読者の願望を最大限実現する必要があったから。

DはCと連動する。せっかく夢ある世界を作ったとしても、それを『説明』する文体に
品性がなければ台無しとなる。美辞麗句・荘厳流麗とまではいかなくとも
「こわれてない言葉」がここでは必要とされる。

A.I.の世界観については詳細に描写されていないものの、基本的に「日常」。
それでいて不必要な狭雑物が取り除かれた、ある意味理想的な世界。
これならG’sの読参の伝統を損ねることはない。



当然、これ以外に挙げた他にも作品の魅力を高める条件は存在する。
コミック版の出来が非常によければ、そこから作品に入っていくケースもあるだろうし、
ゲーム版もしかり。
(例えばひめナビなどはたかみ版コミックでその魅力が倍加しているように見える。)

これらを総合してみると、A.I.はBの条件で若干の問題があったとしても総じて
悪くない作品だったといえる。もしカラーページに進出することがあったとしても
十二分にその役目を果たせる可能性は持っていたのではないか。





○個性付加・諸刃の刃

A.I.の第1期は機能とアイテムを付加することで感情パラメータを成長させていく形だと
いうことはすでに触れた。また、その機能とアイテムに関するアイデアは読者に委ねられている
ため、ロボット育成の自由度はかなり高い。

しかし自由度の高さゆえに、参加する側の感性やバランス感覚が求められるのも事実。
理論上は『どんなロボットにでも』育成できてしまうシステムなのだから。

たとえば従来の作品のように「このキャラクターはこういう性格、何かによって変わることはない」
と設定してしまえば、オフィシャル上で変な方向にキャラクターが歪んでしまうおそれはほとんどない。
(「ほとんど」と書いたのは、動画サイトで受け入れられた設定をオフィシャルが追認するような
ケースもあるため)
性格や設定が改変されるとすれば、それは同人的な活動の中(いわゆるifの世界)だけだったのだ。

しかしA.I.第1期のルールは、極端に言ってしまうと『同人的な悪ノリ』がオフィシャルに実体化してしまう
危険性を持っていた。もちろんその結果も「読者が望んでいた」ということならば、
問題なく受け入れられるのかもしれないが…
『オフィシャルでこれをやられたらへこむ』というラインは誰しも持っているはずである。
このラインを超えないためのバランス感覚が、A.I.第1期に参加する際には必須だった。

いちばんわかりやすい例はアイリスの機能・アイテムの傾向だろう。
アイリスが得た機能・アイテムをすべて列挙してみると…

アイテム:バトルスーツ、ゴスロリドレス、魔女っ娘、メガネ、サムライソード、日傘、フルート、修道服、軍服、呪符
機能:ボディガード、赤面、ミステリアス、照れ隠し、占い、みね打ち、ちょっとだけ予知、居合い抜き、秘書


改めて確認しておくと、アイリスの初期感情パラメータはすべて1。いかようにも育て上げることが可能な、
ある意味A.I.を象徴するロボットである。…が、明らかに他の3人に比べて武装系のアイテムや機能が
多くなっているのである。この時期、『武器を取って戦う美少女』が一定のトレンドだった影響もあったのだろうが、
それにしても極端にすぎる。世界観を変えかねない「劇薬」に近いアイテムが並んでいることを考えると、
当時の読者のバランス感覚はまだまだ洗練されていなかったといえよう。
アイテムや機能からエピソードが逆算されて作られかねないことを考えると、想像力が足りなかったと
言わざるを得ない。

もっとも、アイテムや機能の選択ルールが足かせになっていた部分はある。
選択時に同じアイテムを別々のロボットに割り振ることはできなかったのだ。
(結果として同じアイテムを得るケースはあったが)
そのせいで比較的ノーマルなアイテムをココ、RUNA、愛羅へ。残ったものをアイリスへ、さもなくば
該当なし…という流れができてしまったのかもしれない

しかし、第1期の後半にきてようやく『読者のバランス感覚』がうまく機能し始める。
その転機となったのは2006年12月号における「お月見エピソード」(本誌表題:月の光に怒りを込めて)
だろう。武装系アイテムではなく、「ミステリアス機能」「占い機能」を主軸としたエピソードは、
それまで出番が少なかったがために決まっていなかった彼女の性格の芯をはっきりと示すことになった。


   
       (アイリスにとって転機となった2006年12月号)


その後の展開もココの名前が(仮)がとれたり、最終選択で「選べない」を選択肢に加えるなど、
一本調子にとどまらない興味深さがあった。

そうして順調に進んでいった第1期は2007年4月号においてひとつの結末を迎えることになる。
この号でA.I.のために費やされたスペースは4頁にわたっていた。A.I.の存在感がG’sにおいて
最も強くなっていた時期だったといえよう。また、A.I.自体の続行についても読者の手に委ねられた。
(のち、新しいロボットを開発するという形で続行)
―順調な流れ―
A.I.に思い入れを持つようになった者が『もしかしたらカラーページに進出する可能性もあるの
ではないか?』と期待したとしても不思議はない状況だった。

そして今にして思えば、その可能性が一番高い時期がこの時だった。
この頃、カラーページ読参は「マリロワ」「2/3」があったが、後者についてはノベル形態に
移行しつつあった。
A.I.には1年間以上積んで培ってきた「設定」があり、モノクロページの中ではあるが認知度も十分。
ストーリーの区切りとしてもカラーページに移るにはいいタイミングだったし、これまで以上の
盛り上がりをカラーでのA.I.に求めても、決して博打ではなかったろう。

しかし、カラーページに進出することは叶わなかった。
読者の声が足りなかったのか、あるいはもともとカラーに舞台を移してみるという発想が
G’sの側になかったのか…

個人的には、その両方だったのではないかと思う。





○ズレの見え始め、そしてベビプリの開始

もっとも、カラーに移れたか否かに関わらず、当時はA.I.の続行を素直に楽しみにすることができた。
新しいロボットデザインも新たに募集するということで、今度こそはという思いで挑んだ投稿者も
多かったことだろう。
第2期の下準備の流れは、第1期の頃とほぼ同じ。ロボットのデザインを募集、メンバーを決定した後、
呼ばれ方を決定している。
その流れ自体には問題はなかったのだが…

この下準備にかなりの時間を要している。
キャラデザインの募集を行ったのが2007年5月号で、公式の立ち絵が決まったのが2007年10月号。
なんと半年近く費やしているのだ。
いくら読者ページに目を通す投稿者が『投稿する→待つ』というサイクルにある程度慣れているとはいえ、
これでは中だるみしてしまう。第1期と第2期の間に生じてしまったエピソードの狭間が、正直なところ
長すぎたように思う。
デザインと呼称の決定なら「デザイン募集→1次通過一覧の中から選択→決定&呼称選択→呼称決定」と
4号で済みそうなものだし、そういうわけにもいかないならロボット開発の場面や呼称決定の場面を
エピソード風にするとか、工夫することができたはずである。
とにかく、エピソードの狭間でストーリーがまったく提示されなかったのは問題だった。
(個人的には、その間隙を想像してSSを書くことができたわけだが…)

と、多少こちらが求めるスピードとのズレが生じたものの、2007年11月号よりエピソードの時間は再び
動き始めた。

第2期は借金を返しつつ、新メンバーにアイテムや機能を付加してレベルを上げていくという方法だ。

第2期のメンバーは感情面で完成度が高いということなのか、感情パラメータはなく、アイテムや機能を
選ぶのみとなっている。ただし、エピソード当初において1000万円の借金を背負わされており、
更にアイテムや機能に購入金額が設定されているため、第1期のように気楽に選択することは
できなくなっている。

…とはいえ、ツケによる購入が可能なため、実質、購入の幅はあまり狭まっていなかったのだが。
しかし、わたしのように当初金額が気になって高額アイテムの購入をためらったり、『該当なし』を泣く泣く
選択する人間も実際にいたのだ。
わたし以外の参加者がどれだけアイテムの金額を気にしていたかは定かではないが…

当初の設定―ルールに口出しするのはあまり好きではないのだが、借金という足枷をつけられた上で
更に機能・アイテム付加で金額の縛りをつける意味があったのか、ここにも疑問が残る。
金額設定の効果がもしあるとすれば…アイテムや機能の付加を少なく抑えられる、ということだろうか?

『借金を背負わされている』という状況も手伝ってか、第2期の印象は、当初、どことなく第1期より
アラが目立っていたり、素直に楽しめる要素が減っている点も見受けられた。

さらに、少し穿った見方になるかもしれないが、公式の描き手である高階氏のA.I.に対する意欲が
減退しているのではないか、そう感じられる予兆があった。


  
  (一見、何の変哲もないように見えるが…)


2008年2月号、ボディーガードエピソードの1コマだが…
明らかにこれまでの出来と比べてラフ色が強すぎるのだ。


  
  (アイリスの帽子部分を拡大するとわかりやすい)


第1期の描画、あるいはこの号以降の描画と比べると、私のような素人でもわかってしまうような
「仕上げの足りなさ」がどうしても目についてしまう。
もしかしたらこの号に限って厳しいスケジュールだったのかもしれないが、それまでの画の完成度が
高かった分、余計におかしな部分が目立ってしまっていた。

ここからは推測になるのだが、高階氏は当初「G’sの企画」ということでA.I.に期待していたものの、
第2期になってもカラーに昇格しない状況を見てA.I.を見限ったのではないだろうか。

(以下、あえて一部反転表示。)
実はmixi内にもA.I.のコミュニティがあり、当初高階氏はそのメンバーの1人だった。
(念のため申し添えておくと、コミュニティといってもファンとしての分を超えるような特別な活動は
まったくしていない。はっきり言ってしまうとA.I.掲示板の方が交わされる会話の内容は遥かに
濃密であった)
しかし2007年12月半ば頃を境に、全く予告なく高階氏の名はコミュニティから姿を消している。
時期的に08年2月号の絵の作業をしていた頃と重なっている。


ここで断っておくが、わたくし天瑞は高階氏を責めようという意図は全くない。むしろ共感する部分が
あるくらいだ。
「G’sの企画の仕事」と聞けば、一番に思い浮かぶのがシスタープリンセスの成功であろう。プロフェッショナルなら
その成功にあやかり、あわよくば後を追ってみたいと思うのが当たり前だ。A.I.がカラー化しないことで
企画としての発展が見えない状況を目の当たりにしてしまったら、モチベーションが落ちてしまっても
仕方ないだろう。

更に、2007年12月と聞いて何か思い浮かぶことはないだろうか?
この年のこの月、シスタープリンセスの源流を受け継ぐともいえる強力な企画が誕生している。
ー『Baby Princess』ー
ストーリーワードの紡ぎ手は公野櫻子氏、何より「Princess」の名を冠していることから、G’sが
準備を重ねてこの企画を世に送り出してきたことがうかがえる。

A.I.が誕生した背景に触れた項で「一定以上に強力な読参がなかった」と述べたが、ここにきて
それがとうとう出現したのだ。G’s企画として原点に回帰しつつ、オフィシャルのブログでWEB上の
展開を図るなど、その力の入れようはざっと見ただけでも『本気』が伝わってくるものだった。

「色のついた世界」へと飛び出すことができたのは、A.I.ではなく、準備に準備を重ねられた
G’s渾身の新企画だったのである。





○「弱者の楽園」としてのA.I.

このような経緯により、高いレベルで広まっていく可能性がほぼ失われてしまったA.I.だが、これは決して
悪いことばかりだったとも言えない。モノクロページ内にとどまったことである意味「守られた」面も
あるのだ。
「色のついた世界」で企画が展開されることは必ずしもいいことばかりではない。規模が大きくなれば
それだけ変なおまけもついてくる可能性も高くなるからだ。

例えばの話、とある動画サイト(早い話ニコ動)にて出来のよさ割りには再生数がそれほど多くない動画を
見かけると、時折次のようなコメントが流れることがある。
「変に伸びすぎない方が荒らされなくていい」と。
A.I.にも似たようなことが起こっていたともいえる。

広範囲に作品が広まっていくということは、いわば「好きなようにいじられる」こととほぼ同値、あるいは
表裏一体の関係にある。また、無遠慮な悪意に晒される可能性も一気に高くなる。同じ作品内にも関わらず
キャラクターの派閥のようなものが出来上がり、意味をなすのかどうかわからない誹謗中傷が散見されたり、
決して当初からのファンが望んでいない描かれ方をしたり…
広まりすぎた場合、作品の方は「見る側」を選ぶことができなくなるのだ。

A.I.は企画としての発展にブレーキをかけられてしまったが故に、そのような心配は全くなくなった。
この企画に参加している人は、間違いなくA.I.に対して純粋な思い入れを抱いている人だけだ。
自分の判断やアイデアでオフィシャルのキャラクターが少しずつ成長していくことに喜びを感じている。
そこには、「色のついた世界」に付随する悪意などはまったくない。

また、A.I.に参加する方法として、アイテムや機能をキャラクターに与えるほかに『考案』するという
手段も用意されている。自分で考えた機能やアイテムを投稿するのに、描画の力は必須ではない。
もちろん、描きたければ描けばいいのだが、必要条件ではない。アイデアひとつで採用の門戸は
開かれているのだから。必要とされるのは技術ではなく「思い入れ」だ。
殊に自分がそうなのだが、作品に対する愛着だけが膨れ上がって技術が追いつかない投稿者に
とって、この環境は実に理想的だ。


  
      (2006年11月号より。イラストを描かなくとも、アイテムや機能を提示することができた)



よくキャラクターや衣装のデザイン募集の企画があったりすると
「必ずしも絵の巧さを見てるわけではないので、気軽に参加してね」という一文が添えられたり
するものだが、自らの描画に本当に自信のない者はペンを取るのもためらってしまうものなのだ。
その手の企画に「気軽に参加」できる人間のレベルというものは、すでに十分な経験を積んでいる
ケースが多い。そして結局は「強者たちの戦場」となってしまうのだ。
(もちろんそれはそれで高いレベルの描画が見られて良いことでもあるのだが)

A.I.では一部の強力な人間が強引に世界を塗りつぶすことはありえない、
まさしく『弱者の楽園』だった。





○「愛の生活」

第2期のエンディング(2009年1月号)が第1期のラストエピソードに比べてごく短いページだった時点で
予兆はあったのかもしれない。ロボット達の日常生活をイラストあるいは文章で表現することが
求められた「愛の生活」。
しかし、与えられたスペースは1頁にも満たなかった。


  
 (1ページにも満たない「愛の生活」。ここからの巻き返しは難しいかに思われたが…)



これではもはや企画というよりは「コーナー」である。
確かにテーマは難しく、敷居は間違いなく高くなった。これまでのようにキャラの付加させたい属性を
考えるだけでなく、生活…いわば世界を構築し、更にそれを表現しなければならなくなったのだから。
A.I.高いプライオリティを置いている投稿者にとっては、刺激的で面白みのある試みだったものの、投稿数自体が
減ってしまった可能性は否めない。

あるいは編集の側で、A.I.をもうクローズさせようという方針がもともとあったのかもしれない。
ここまで分かりやすく縮小してしまったら、さすがにこれまで力を入れて参加していた側の
危機感も募る。
(これ以上投稿数が減ったら、間違いなく消される…!)
こう感じた人は少なくなかったはずだ。
先の項で、A.I.が第1期から第2期の移行する際にカラーにならなかったことで『高いレベルで
広まっていく可能性は失われた』と書いたが、今回はもっとわかりやすい形で突きつけられたと
いえるだろう。

A.I.好きに下された命題は「スペースの死守」。せめてスペースを1頁は確保し、存在を守ること。
いつか終わるにしても、自然消滅だけはさせたくない。そんな切実な思いを胸に、コーナーへ
投稿することになったのだ。

…と、ネガティブな書きかたばかりしてしまったが、この「愛の生活」が『自分で物語を作ることができる』という
以前にあまりなかったルールを与えてくれたことは事実。
(例外があるとすれば、「天使と悪魔」のリレーノベルくらいか?)
A.I.に思いを寄せる人達はこれまでの参加経験を生かして、それぞれ得意なやり方で物語を作り上げて
いくことになった。

以下に「愛の生活」に掲載されたイラストと200字ノベルの数を記しておく。


号数/イラスト数/ノベル数

2009年4月号:1/3=計4
2009年5月号:7/1=計8
2009年6月号:2/4=計6
2009年7月号:4/2=計6
2009年8月号:7/1=計8
2009年9月号:6/3=計9(ここで最終回告知あり)

2009年10月号:2/3=計5
2009年11月号:6/5=計11(最終回)

参加する側がある程度高い意識をもって投稿していたためか、自然消滅することはなかった。
イラストと文を合作し、ひとつのシーンを作り上げてみせるなど、主体的な工夫が生きた回もあった。
上の掲載数の推移を見てみると、最終回を除いた場合、8月号-9月号にて最も多い掲載数を
マークしている。これはひとえに、序盤に投稿された内容がいい例題になっていたからではないか。
「何をすればよいか、どんなことを書けばいいか」が明白になれば、おのずと敷居も低くなる。
9月号までの展開に関していえば、少なくとも勢いをなくしていったというよりむしろ微増の傾向にあったといえるだろう。

個人的には「愛の生活」という試みの最大の収穫は「テキスト表現の魅力」を再認識させて
くれたことだと思う。G’s内ではその雑誌の性質上、当然のことながらビジュアル面が重視されている。
これまでいわゆる文字ネタはイラストの影に隠れて目立ちづらい存在だった。
しかし、「愛の生活」に投稿されたテキストの中には、イラスト表現ではなかなか難しいのではと思わされる
くらいの素晴らしい描写が幾つか見られたのだ。(しかも200字という制限の中で!)
G’において「文字=ネタの手段」という図式が知らない間に一般化していた中で、文字による創作表現の
可能性の一端を見せてくれた(再確認させてくれた)点は、もっと認められてよいだろう。





○終局

このように、縮小されたスペースの中でも可能性を提示させてくれた「A.I.LoveYou!愛の生活」だったが、
2009年9月号で最終回の告示がなされる。その原因は『読者ページのリニューアルによる』もの。これまでに
積み上げてきたものは、半ば強引にリセットボタンを押されるような形で終焉を余儀なくされたのだ。

終了の原因が「リニューアル」である以上、もはや投稿数云々の問題ではなくなった。
第1期終了時は読者に今後の形態を問いかけてきた。
第2期終了時は問いかけこそなかったものの、今後の要望を吟味しているような文脈が垣間見られた。
「愛の生活」も投稿数を維持することにより、自然消滅だけは免れていた。

しかし、今回ばかりは逃げ道はない。とにかくもう、『本当に終わる』道しかなくなった。
リニューアルしながらA.I.のコンテンツを続ける道はなかったのか…そこでふと思い当たるのが
担当者の存在だ。今回のリニューアルでは同時に担当者も交代となる。「ぷみこさん」の愛称で
親しまれた当時の担当者はA.I.の展開に多大なる貢献があった。
もしかしたら第1期・第2期のテキストもこの人が作成していたのでは…?だとすれば、担当者の
交代はテキスト作者を失うことを意味することになり、唐突な最終回宣言と辻褄が合う。

しかし逆に言えばこういった『どうしても不可避の原因』が到来するまでにA.I.を展開し続けられたこと
自体を喜ぶべきなのかもしれない。

もはやA.I.に力を注いできた投稿者が出来ることといえば、最終回に彩りを与えるよう努力すること
のみとなった。

2009年11月号…投稿者有志による合作の掲載。そして最終回にしてようやく1ページのスペースを
獲得することに成功した。

色のついている世界に出て行くことの叶わなかった小さな企画。もしかしたら、長い間G’sを買い続けて
いる人でさえA.I.の存在を見落としていた可能性だってある。
それでもこれだけは胸を張っていえるだろう『最後までそのコンセプトがぶれることはなかった』と。

最終回には『今後もA.I.ネタは通常のイラストや文字ネタで掲載していく』と、新担当者による文が
添えられている。これをもってA.I.はシスタープリンセスや双恋・ストパニと同じく歴史の棚に
封じられた作品となったのである。





○結びと願い

手元にあるG’s2009年11月号の読者ページを開き、「過去の読参」のイラストがないか探してみると…
双恋やストパニやおろか、シスプリのキャラでさえ見当たらない。(時折ひとつふたつ描かれ、根強い
人気を再認識させれくれることはあるが…)
『今後通常のコーナーで受けつけます』と宣告されてきた作品の現在の姿がこの通りだ。
これがいわゆる「終了した」作品が読者コーナーにおいて辿っている道である。
基本的にイラストコーナーがある意味流行のパロメータとなっている以上、仕方ないことかもしれない。

好む好まざるに関わらず、A.I.も同じ運命をたどってしまうのだろう。
オフィシャルからのストーリー展開が途絶えたりスペースがなくなってしまえば、ふつう読者は哀しみつつも
新たな心の拠り所(=作品)を探し始めるものなのだ。
それでも過去作品としてムックや資料集が刊行されてしまえば、なんらかのきっかけで新たに興味を持つ
人もいるだろう。実際、シスプリは企画展開終了後でも興味を持つ人がいるくらいだ。

この点、A.I.はより切実である。何しろオフィシャルの手でストーリーをダイジェストした資料などが
全く作成されていないのだから。作品に愛着を持つ個人がまとめたりしない限りは、存在すらも
「なかったこと」にされてしまいかねない。
(終了後の作品の存在が個人に依存しすぎているという点、「ウルトラC」「2/3」に似ている)

しかし…これだけ歴代読参と比べて異質な性格を持ち、3年半以上の長きにわたり歴史を築いてきた
作品をこのまま消えるに任せてしまってよいものか。築き上げてきた時間と経験と財産、今後に
生かしてもらうこともできないのか。

特に以下に挙げる点、これらは特にA.I.が誇るべきポイントであるはずなのだ。

・『弱者』を積極的に拾い上げようとする姿勢
第1期にてレギュラーメンバーになれなかった「たるぼ」「珠音」らがチョイ役で登場している点、
また、アイテムや機能の募集に必ずしも画力を強制されなかった点に見られる。
前者については当時のG’sでも「(2人が)友情出演している様子をみて、この企画のぬくもりを
感じました」(G’s2006年9月号)というコメントが寄せられるなど、読者のアイデアをより吸い上げ、
生かそうとする雰囲気は好評だったのだ。これを一過性のものにしてしまうのはもったいない。

・読者によるテキスト表現の魅力
「愛の生活」で試みられた通称“200字作文”。文章投稿者にも「世界を表現する」チャンスが与えられた
ことは特筆すべき。文字ネタ投稿者の中には「ネタだけじゃなくて『ストーリー』を表現してみたい」と
考えている人もいるはず。美少女コンテンツにおいてイラストに比重がかかるのはある程度当然の
こととしても、読者ページ内に歴代G’s読参を対象とした「200字創作コーナー」を新設する
くらいの試みはやってみてもよいのではないか?

加えてこれは常々思っていたことなのだが、G’sは過去の自身のオリジナル作品に対してどうも
冷淡だという印象が拭えない。特にメディア展開が終わってしまうと、まるで使い捨てたかのように
ほとんど触れなくなってしまう。(双恋・ストパニはアニメ放映終了後にファンコーナー終了、シスプリは
連載終了後、モノクロページ『ミニプリ』である程度枠が確保されたが…)
G’sと聞いてシスプリを連想する方(今ならベビプリを挙げる人もいるだろう)は多いだろう。やはり
オリジナル作品は思い入れの度合いが違うのだ。となれば、読者ページ内にある程度『G’s読参枠』を
設けてもよいのではないか。特定の作品だけでなく、歴代のG’s読参イラストや文字投稿を2ページ
程度でも掬い上げるスペースを作るだけでも、作品に対する礼儀として充分なのではないかと思うのだが。

「あれは過去の作品」「今は流行っていない」そう一言で片付けるのは簡単だ。しかし、かつて展開
されていた作品の性質や強みを検証することなく徒に切り捨てる(忘れていく)のはいただけない。
A.I.の場合「存在していたことを記録すること」自体が死活問題となっているが、上記した性質を
今後読者コーナーなりG’sの企画なりに生かしてもらえれば、それだけでも大きな喜びたりえるのだ。

幸いにして、リニューアルに伴って替わった新たな担当さんは、A.I.の話をある程度理解してくれそう
ではある。蜘蛛の糸のように細い望みではあるものの、今後A.I.の残光が薄くなっていくであろう
読者ページに未だ投稿を続けていこうとする私のような立場の人間にとっては、それだけでも充分な支えである。



最後に。

A.I.とは、ひとことで言えば『色のついた世界に出て行くには、優しすぎた』作品だった。
しかし、その優しさゆえに幾つも可能性を提示してくれた作品でもあった。そして、そのような
作品に出会い、真っ直ぐ向き合うことができた巡りあわせに対し、心から感謝したい。

これからは幾つもの小さな悲しみを積み重ねていくことになるだろう。A.I.を投稿したくても話やら
構図が浮かばないこともあるかもしれない。自信作を没にされる(これはいつものことだが)ことも
あるかもしれない。A.I.のイラストも文字ネタも全く載らない号だって、目にする羽目にもなるだろう。

それでも言えることがある。A.I.に出会えた人は、しあわせだった。
そして、自分と同じような感性を持つ人―わたしたちは決して敗者ではないのだと。



(2009年10月17日 この項、了)







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